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追悼 – ペーター・ハンザー=シュトレッカー

2026年 1月 28日付

Peter Hanser-Strecker

photo © Susanna Storch

「音楽は人類の言語である」。この信条を忠実に貫き、ペーター・ハンザー=シュトレッカー博士は半世紀以上にわたり音楽出版社ショット・ミュージックの運命を形作るとともに、音楽界において国際的に最も影響力のある人物の一人として活躍した。2026年1月22日夜、ヴィースバーデンで家族に見守られながら逝去した彼を、わたしたち文化界は惜しまずにはいられない。尽きることのない先見の明を持ち、控えめな芸術のパトロンであり、由緒ある伝統を継承する出版者として、革新への勇気と遺産への敬意を本能的に両立させる術を知る人物だった。

1942年7月14日、ミュンヘン生まれのペーター・ハンザー=シュトレッカーの幼少期は、まさに第二次世界大戦の真っ只中だった。ラジオから流れるカッコウの鳴き声が空襲の警告信号として耳に残されたトラウマ的な記憶は、生涯を通じて彼の幼少期の強烈な音楽的体験として刻まれた。1949年に父ハインツ・ハンザーを早くに亡くした後、彼はヴィースバーデンのディルタイ・ギムナジウムで学んだ市民的ヒューマニズムと、音楽の両方に、新たな精神的拠り所を見出した。

彼はマインツ、ミュンヘン、フランクフルトで音楽学と法学を学んだ。その学問的経歴は、当時としては稀な学際的業績であり、1968年に音楽における盗作をテーマに取得した博士号は、知的財産保護への生涯にわたる取り組みの礎となった。このテーマはデジタル化の時代において新たな、実存的な重要性を帯びることになる。

モダニズムの建築家であり技術の先駆者

1968年10月1日、ペーターは家族経営だったショット・ミュージックに入社。1974年には経営パートナー、1983年には取締役社長として、同社をグローバルに展開するメディア・グループへと変革した。彼はデジタル革命の兆しをいち早く認識した人物の一人であり、その指導のもと、ショット社はデジタル楽譜出版の先駆者となり、業界がインターネットの重要性を完全に理解するはるか前の1990年代半ばには、すでに包括的なウェブプレゼンスを確立していた。

彼の出版者としての直感は、未知なるものへの深い好奇心によって形作られたもので、WERGOレコード・レーベルの買収や、ジェルジ・リゲティ、クシシュトフ・ペンデレツキ、カール・オルフといった時代を象徴する作曲家たちとの協働を通じて、ショット社を現代音楽分野における国際的リーダーの地位に押し上げた。彼の旅は中国、ロシア、日本にまで及び、そこで得た様々な新しい音楽的見解を出版社にもたらし、文化間の架け橋を築いた。同時に、彼は学術的厳密さをもってクラシック音楽の遺産を管理し、リヒャルト・ヴァーグナー、ロベルト・シューマン、パウル・ヒンデミットの膨大な全集の刊行という形でその成果をあらわした。

公益に捧げられた人生

ハンザー=シュトレッカー博士の社会への参与は単なる義務を超えたものであり、深い人道主義的倫理観の表れであった。ドイツ音楽出版者協会会長やGEMA名誉会員を含む数々の名誉職において、彼はクラシック音楽とその創造者たちの利益のためにたゆまぬ努力を続けた。

ハンザー=シュトレッカー博士は慈善活動にとりわけ心を傾けていた。彼によって設立された Pro Musica Viva – Maria Strecker-Daelen 財団は、忘れ去られた作曲家の作品の再発見に貢献し、また、シュトレッカー財団は今なお子どもと若者の音楽教育を推進し続けている。彼の活動は国境を越え、カールハインツ・ベームの親友として、数十年にわたりエチオピア支援団体「Menschen für Menschen」の活動に尽力してきた。2014年に授与されたドイツ連邦共和国功労勲章大十字章は、他者の幸福を最優先に生きた生涯を認め、評価するものだった。

人生と仕事

出版社での仕事以外にも、ペーター・ハンザー=シュトレッカーの知識は非常に幅広いものだった。彼はオルガニストであり、情熱的な写真家にして画家であり、アジア美術の鑑識家であり、スキーやサイクリングを楽しむ熱心なスポーツマンでもあった。

彼の心の安らぎは常に家族だった。教師の Ingrid Hanser-Strecker 夫人と50年以上にわたる結婚生活を送り、ヴィースバーデンの自宅では Saskia、Emanuel、Yara の3人の子供たち、そして9人の孫たちに囲まれた多世代世帯で暮らしていた。

ペーター・ハンザー=シュトレッカー博士は生前より、生涯をかけた事業の継続性を確保していた。2024年にショット・ミュージックの所有権をシュトレッカー財団へ移管することで、同出版社が独立性を保ち、芸術と学術の振興に惜しみなく専念し続けられることを確約した。娘のSaskia Osterholdは財団理事としての役割を通じて、この遺志を継承している。

わたしたちは偉大なヨーロッパ人に別れを告げなければならない。その知恵と優しさ、尽きることのない情熱を惜しみながら。Weihergarten にあるショット本社はしばらく喪失感に包まれることになるだろう。しかし彼の精神は、わたしたちショット・ミュージックが世界と分かち合う音楽の一音一音のなかに生き続けるだろう。

2026年1月 ショット・ミュージック(マインツ)
原文:In memoriam Dr Peter Hanser-Strecker (1942–2026) (schott-music.com)
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