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ヴィルヘルム・キルマイヤー逝去

2017年 8月25日付


作曲家ヴィルヘルム・キルマイヤー Wilhelm Killmayerが8月20日、90歳の誕生の前日に亡くなった。音楽界は1人の偉大な個人主義者を失った。彼は伝統を学ぶことによって、彼独自の紛れもなく現代的な様式を見出した。管弦楽、室内楽、ミュージック・シアターを作曲し、晩年になるにつれて、徐々にリート作品に目を向けるようになった。ウィットとパロディを現代の芸術音楽に活かす道を再発見したことは、疑いようもなく彼の最も偉大な功績の1つだ。

かつてアルフレット・シュニトケはキルマイヤーの音楽について、古い手法による新しい音楽と言った。キルマイヤーにとっては、新ウィーン楽派以降の前衛による理論武装した構造主義よりも、シューマンの音楽がもつカンタービレな性格のほうが説得力を持っていた。過ぎ去った時代の音楽への強い情熱に基づいて、キルマイヤーは彼のコンテンポラリーな個人様式を開発し、進んで、中心的な動きからは離れていった。キルマイヤーのスタイルのなかでは、我々が見慣れないものとよく知っているものが結びついて、新しさを生み出している。後年、彼の美学的観点の多くは「ポストモダニズム」のラベルのもとに分類され、初期の彼を否定した批評家や作曲家たちにも理解されるようになった。

1964年の音楽喜劇《Yolimba oder die Grenzen der Magie》で、彼は同時代の美学的流行と対立した。タンクレート・ドルストが書いたリブレットに、キルマイヤーは娯楽音楽や実用音楽ととられることを恐れることなく、ウィットとパロディ的参照に満ちた、想像力に富む音楽を作曲した。キルマイヤーのミュージック・シアター作品は、当時の理論先行型アヴァンギャルドではなく、オッフェンバックのブッファ作品やサティのダダイズムに近いものだった。キルマイヤーにとって、音楽におけるコミカル性の再発見は個人的な開放の行為で、次の世代の作曲家たちに長く続く影響をもたらした。

初期の作品でキルマイヤーは、彼の作曲様式を定義付ける要素としてオスティナートを発展させた。モチーフ・フレーズやリズム型の継続的反復は、ドラマティックな展開という緊張感をもたらした。後にキルマイヤーは、作曲手法におけるもう1つの本質的要素として、ラディカルな「縮小」を加えた。《Nachtgedanken》(1973)などのオーケストラ作品、あるいは3つの室内楽作品:《The woods so wilde》(1970)、《Schumann in Endenich》(1972)、《Kindertage》(1973) では、音楽をその構成要素にまで切り詰めている。音楽の流れは時折、音楽的減衰の終わりに現れる無音の休止によって、ほぼ完全に停止する。沈黙と音、緊張と弛緩は、様式的な手法から本質的なものへという、この首尾一貫した「縮小」における対照的な組み合わせである。メロディーは原則として保たれたものの、音の分離によって、調性とハーモニーはその伝統的な機能を失った。

キルマイヤーにとって音楽を作曲することは常に、自然体験と関係するプロセスだった。「私は、ほとんど音の無い晩秋の森を歩く、自分の心臓の鼓動を聴く、ゆっくりと自然に耽溺する音と、鳥の声のエコーを心の奥で聴く。どんどん深く、私は自然の中心へと近づいていく、そこでは畏怖と平穏がお互いに近く寄り添い、その怖れが立ち止まるところへ。」 作曲のプロセスは、一度始まったら自然の摂理に従う。音のシークエンスは自己発生的に発展し、どんな理論的パターンにも従わない。キルマイヤーにとって音は、それぞれ人格のようなものを持っていて、それは、器楽作品でさえも、音の個性をぶつけ合わせることでドラマティックな動きを作り出すのことできるものだった。シューベルト、シューマン、マーラーから引き継いだ、1音に対する子どもような好奇心が、キルマイヤーの作品におけるメロディーを性格づけている。「私にとって1つの音はとても大切なものだ。まるで水晶や花のように」 音はいかなる言葉も使わずに語る。

メロディーの天性の担い手は声である。数々の声楽作品で、キルマイヤーはこの考えを表現してきた。80年代に、ヘルダーリンの詩による連作を作曲しているが、これにはピアノ伴奏とオーケストラ伴奏の版がある。その後にトラークル、アイヒェンドルフ、ハイネの連作も作曲している。最晩年まで、キルマイヤーは歌曲のジャンルを積極的に作曲し続けた。声楽作品はキルマイヤーの独特な音楽美学を敏感に反映している。ここにも再び、反復と縮小による緊張感がみなぎっている。時に作曲家は、慎重に詩を選んでいる。ひび割れを覆い隠すかわりに見せつけるようにしながら、壊れやすい作品が生み出されている。それでも、彼の歌にはウィットや日常性を垣間見ることができる。

ヴィルヘルム・キルマイヤーは生涯、ミュンヘンの街を離れることはなかった。ここで学校に通い、ハーマン・ヴォルフガンク・フォン・ヴァルタースハウゼン、ルドルフ・フォン・フィッカー、そしてカール・オルフのもとで学んだ。1973年にミュンヘン音楽大学の教授に就任。ローマ、パリ、フランクフルトなどでの滞在を除いて、生涯をこのバイエルンの州都のすぐ近くで過ごし、作曲の教師としてあらゆる世代の作曲家に影響を与えた。あらゆる権威主義体制への不信の結果、彼にとって学ぶことは常に、尽きない好奇心に基づく体験だった。キルマイヤーは権威的・教条的な教え方を全くせず、彼の作曲クラスの主なテーマは、過去の偉大な作曲家による作品自体によってもたらされ、それらは偏りのない見方で検証された。それらの作品の中核にあるクリエイティヴな過程を辿り、積極的に理解していくことが主眼とされた。学生たちは皆、自身の経験を、自分のプロセスとして自身の手で実行していかなければならなかった「曲を作っていくうちに、音はやがて自分たちの行きたい場所を教えてくれる… それに逆らって君たちができることは無い」

キルマイヤーの作品は、音楽家によって演奏され、聞き手が聴くあらゆる瞬間に行き続けている。「私の音楽は、過去にも未来にも生きている。それゆえ、永遠にあると言えるのだ。」 永遠にあることという、作曲家のこの意識は彼の美学の中心にあり続けた。ショット・ミュージックは彼をいつまでも忘れず、長年にわたる実りある協力関係と友情に感謝します。


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以上、独Schott Music “Wilhelm Killmayer 1927–2017”(2017年8月21日付)より翻訳(独語英語